村上海賊の島 来島(くるしま)を散策してみた!住んでみたいと思う島でした!!

観光

来島(くるしま)とは…

波止浜湾の入り口から沖合い240mに位置する面積40平方メートル、周囲850メートルの有人島です。島の中央に標高47メートルの小山があり、かつて来島城がありました。来島は、能島(のしま)、因島(いんのしま)と並び、村上水軍の根拠地のひとつです。平均年齢80歳以上(現地の方の証言)の島ですが、すれ違う人皆さんまだまだ元気でした。

来島はここ!

島への生き方や道中は「瀬戸内海国立公園小島を巡る」で紹介させて頂いてますのでそちらをご覧ください♪♪

いざ来島へ!!

波止浜港から来島へは約5分で到着します。

来島上陸!!

来島城跡【来島村上海賊の歴史】

瀬戸内海は古くから、中国・朝鮮との交通網として、文化や物資の導入に重要な役割を果たしていた。伊予(現在の愛媛県)の海賊衆は、南北朝時代には既に瀬戸内海に強い影響力を持っており、中でも伊予大島を中心に勢力をふるっていた村上家は、応永26年(1419年)、能島・因島・来島の三家に分かれて、更に勢力を伸ばし、戦国時代には瀬戸内海の支配者的存在となっていた。来島は瀬戸内海第一の難所、来島海峡の要に位置し、周囲わずか850メートルの小島であるが、急流に守られる天然の要塞で、難攻不落の海の城郭としてその名を西国中に知られ、築城以来約160年間、6代にわたり、来島村上氏の居城であった。古図によると、島の周囲には石垣をめぐらせ、標高47メートルの山頂には、3段に削られた本丸・二ノ丸・三ノ丸が設けられていた。城主館跡の心月庵には城主の位牌が安置され、付近には館跡・空堀跡もみられる。島内には、櫓跡。石垣・矢竹・古井戸などが確認され、島の周囲の岩礁上には桟橋跡の柱穴が無数に残されている。来島村上氏は、早くから豊臣秀吉方についたことで大名となったが、関ヶ原の合戦で西軍として戦った為、徳川時代には、九州豊後(現在の大分県)の森藩へ転封となった。来島村上家はその後、姓を久留島に改め、明治の廃藩置県まで存続した。

※毛利輝元・宇喜多秀家・石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍

来島村上海賊の島を早速散策♪♪

そろそろ本題の村上海賊巡りましょう♪♪

最後に

今治市側の造船所からラジオ体操の音が聞こえるぐらい本土に近いのに、島全体は穏やかで別世界のように感じられました。標高47メートルの来島城本丸からの景色はとても美しく、行った日は天気も良かったので青い空のしまなみ海道は絶景でした。時間と財があれば住んでみたい島の一つになりました。

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